笑われる勇気

10 08, 2017
金曜日、仕事帰りに神保町の三省堂書店をプラプラしていたら、店内放送で
「本日は雨の日サービスデー。店内で購入した本のレシートを2階のUCCカフェに持参すると、10パーセントオフになります」
という旨の情報が流れた。
ちょうどなおやんもいない日だし、UCCカフェで夜ごはんを食べて帰るか・・・と思い、せっかくなので何か本を買って、そのレシートを持って行こう!と、1階の新刊本コーナーを見てまわった。

大量に並べられた本の中で、真っ先に目に入ってきた本、それは・・・


『笑われる勇気』蛭子能収 著。
平積みの中で、この本が一番インパクトがあった。いろんな意味で。

というわけで、この本を購入。初めて蛭子さんの本を買った・・・。蛭子さんといえば、いつだったか神保町の書泉グランデでサイン会をしているところに出くわしたんだけど、その時は本を買うお金が勿体無くて(失礼)遠巻きに見ていたんだけど、この本にはサインをもらいたかったな・・・サイン会、やらないかな。

とりあえずこれでレシートも手に入ったことだし、カフェで10パーセントオフになるぞ!と心の中でガッツポーズ。
しかし、カフェに入る前にちょっとお金を下ろしておこう・・・と思い、一度三省堂のビルを出て、すずらん通りの郵便局のATMまで行ったところ、三省堂まで戻るのがめんどくさくなって(土砂降りだったし)結局郵便局から近いタムタムへ入ってしまった。何のためにレシートを手に入れたんだろうか・・・(蛭子さんの本と出会うためか)

タムタムではいつものピザトースト。

チーズがトロン

このピザトーストを食べながら、さっそく『笑われる勇気』を読んだ。
蛭子さんのゆるい考え方エッセイと、蛭子さんが超適当に答えている『蛭子能収のゆるゆる人生相談』が満載で、蛭子ワールドにどっぷり浸れた。途中、何度も吹き出しそうになった・・・

蛭子さんは多分、いわゆる「正しくて」「優しくて」「真面目で」「道徳的な」人たちからはヒンシュクを買いまくる人だと思うけど、でも、ある意味とても正直で、そして実は人をズバリと見抜いている人なんだと思う。
その「見抜き」は冷酷に見えるかもしれないし、和と共感を重んじる日本人の中では浮いてしまうかもしれない。でも同時に、蛭子さんの考え方に救われる人もたくさんいるだろうな、と思った。

蛭子さんは人の相談事には興味がないわけだけど(「自分以外の生き物にはあまり興味が湧かない」とのこと。孫の名前も覚えていないらしい)それでも、何気ない言葉がなかなかいいんだよ。

例えば・・・

・仕事や人間関係に疲れた、人生うまくいかない
→「そもそも、人生がうまくいくものだと思っているのが間違い」

・新人なのに仕事で開発チームの一員に。不安・・・
→「たぶん、あなたに求められているのはアイデアではない。チームには仕事ができない人がいると、他の人が「オレが頑張ってやる」となって、逆にうまくいくことがある」

・辛気くさい顔をしているので、やる気があるのに「嫌そうに仕事している」と思われる。どうすればいい?
→「考えすぎ。人はそんなにあなたのことを考えたりしていない。そもそも、人の心の中を推測するなんて無意味なことだし、それが当たっていたとしても、そうじゃなくてもただむなしいだけ。どこかであなたは、いつか誰かが自分をわかってくれる、と思っているけど、そんなことはない。自分は、人から理解されるわけがない、と考えていた方がラク」

・マンションでゴミ捨てなどの決まりを守らない人がいるので叱ってやろうと思う
→「オレの住むマンションでも、古新聞をグチャグチャに出している人がいるけど、ちっとも気にならない。あなたも自分ができるからといって、人も同じようにできると思わない方がいい。叱られても反省しない人もいるから、叱るだけ無駄」

とか。
この最後の「自分ができるからといって、人も同じようにできると思わない方がいい」ってのが好き。

でも、ここに挙げたのは真面目な方で、だいたいは「はっきり言ってどうでもいいですね」とか「いや~暑いですね。こんなに暑いと人の相談なんて聞いていられませんよ」とか「あなたも競艇をした方がいい」とか、まぁそんな感じでゆるく答えていて(答えになってないかもしれないけど)それがまた、なんか、よかったんだよねぇ・・・

「雨の日は、レシートでカフェが10パーセントオフ」の放送があったからこそ手に取った本。一期一会だなぁ。とにかく面白い時間をありがとう蛭子さん・・・という気持ちでいっぱい。

ちなみに最近三島由紀夫のエッセイを読み返したばかりなんだけど、彼は超頭が良くて、何事も深く考え、そしてあの壮絶な最期でしょう・・・

それに比べて蛭子さん。彼にとっての理想の死とは、
「この世を去るなら、もっともお世話になっているボートレース平和島がいいですね。名前も“平和島”で、なんだか穏やかで、安らぎそうだし・・・。大穴を当てて、歓喜の頂点で、ガクッと苦しまずに死んでいく。手には当たった万舟券を握りしめて・・・」
というものらしい。

・・・世の中にはいろんな人がいるもんだ。

同時代の作家たち

08 25, 2017
今、久々に病院に来ているんだけど(診察待ち中)さっきトイレで自分の顔を見たら、自分の表情がなんだかいかにも病人という感じになっていて、ちょっと笑った。病院に入る前はそんなことなかったのに、今ではヨロヨロの顔になっている・・・病院の雰囲気に飲まれたか・・・

まぁそれはいいとして、暇なので、最近読んだ本のことでも。

『新編 同時代の作家たち』 広津和郎 著

広津和郎が生きた明治24年~昭和43年。キャラの濃い文豪たちが次々と出てきた時代で、彼もたくさんの文豪と付き合うわけだけど、その「実際の人間関係」から生まれたエピソードがイキイキと綴られていて、文章も読みやすく、一気に読み終わった。

中でも、芥川龍之介と宇野浩二とのエピソードが特に面白かった。

宇野浩二が精神的な病で入院した直後、芥川が宇野について
「しかし芸術家の一生として立派なものだと思うね。もしあのままになったとしても立派だよ。発狂は芸術家にとって恥じゃないからね。宇野もあれで行くところまで行ったという気がするよ」
と羨望の気持ちで話す。

その芥川の発言に、広津はほんのり反発を感じ、
「僕は芸術家の死時などというものについてはてんで考えないね。僕は自分の事をいうと、家族の者が自分よりみんな弱いように思うので、僕がみんなを見送ってやらなければならないと思っているね」

と返す。

常に「死の穴」が心にある人と、全くない人・・・という分け方があるとしたら、芥川は前者で、広津は後者ってことになるかな。

結局、「漠然とした生存不安」に飲み込まれた芥川は、宇野の入院中に自殺してしまう。
一方、宇野は病気が回復し(「宇野の神経は狂う事はあっても決してフィーブルではない。太くも逞しくもないけれども、蔓草のような強靭さを持っている」広津談)その後も小説を書き続けたと。

ほんと、文豪の人生もいろいろだ・・・芥川龍之介は、なんか、いかにも・・・という感じがするけど、広津和郎はどこか現実的で飄々としている。
彼もいろいろ大変だったみたいだけど、
しかしそれを重荷と思い始めたらやりきれない。重荷なんて考えずに背負って行くより仕方がない。人生にはそういう年齢の順序があって、丁度われわれにその当番がまわって来たと思うより仕方がない。
と自分に言い聞かせる。

そして、精神病院に入院した宇野浩二が、実は誰よりも強靭だったというオチ。彼は入院前に「このマニイ(躁病)をすっかり治してくれては困る。余り治されたら、小説が書けなくなってしまうからね」などと言う。どこか、この病気を楽しんでいるかのよう・・・(周囲は超大変だが)



・・・とか書いているうちに診察室に呼ばれた。やれやれ、総合病院はやっぱり時間がかかるよ・・・
(CTやらレントゲンやらを撮って検査した結果、大したことなかったので、私の顔色も元に戻った。)

静かなる情熱ーエミリ・ディキンスン

08 19, 2017
なんだか最近旅日記が続いているので(そして今も18きっぷ旅の真っ最中で、愛知県の豊橋にいるという・・・現在なおやんとは別行動中で、一人でカフェにいるところ)久々に他のことを書くことにする。

先日『静かなる情熱ーエミリ・ディキンスン』を観に行った。神保町岩波ホール。

生前わずか10篇の詩を発表し、無名のまま生涯を終え、没後発見された1800篇近い作品により“アメリカ文学史上の奇跡”と讃えられる女性詩人エミリ・ディキンスン。
全世界より熱狂的なファンを持つディキンスンの生涯を、20篇近い詩を織り交ぜ描く伝記的作品。
(公式サイトより)

エミリ・ディキンスンのことは全然知らなかったけど、彼女のような「無名のまま生涯を終えた芸術家、詩人、作家」の人生にはものすごく興味があるので(ゴッホとか宮沢賢治とか・・・本人が死んでから作品が高く評価されるって、なんだか複雑・・・)ワクワクしながら観に行った。

題名には「静かなる情熱」とあるけど、少なくともこの映画の中のエミリは、そんなに「静か」ではなかった。結構、主張していた。

(以下、ネタバレあり)

女学校時代、厳格なキリスト教への信仰が強要される中、他の生徒たちが素直に従うのにエミリだけは頑として抵抗したり。牧師との祈りの時にエミリだけひざまずかなかったり。信仰に従うことは安全だけれど、でも、わたしの魂はわたしのもの、と言えるエミリがなんだか眩しかった。

その時代の大多数の意見や常識に賛成すれば「正常」、抵抗すれば「異質」、と見られるのは今でもそうだけれど、このエミリの時代は特にそれが強かったのかもしれない。キリスト教を信仰するのが当たり前、女性の仕事は男性に劣る、とか、そういう「常識」に大多数の人は疑問を持たずに縛られるわけだけど、エミリ・ディキンスンは違った。牧師さまのお祈りの時間にひざまずく、という「当たり前のこと」にも疑問を持つ。

映画の中で、エミリに信仰心が足りないことを父親がものすごく怒るシーンがあるんだけど、その場面を見て、
「無意識の中で縛られている人は、その縛りを、自分以外の人にも強要するのだな・・・」
と思った。

同じ信仰(常識、価値観)でも、「信仰に縛られる」のと、「信仰で自由になる」のとでは、多分全然違う。前者は他人にも強要しがちだけど、後者の場合は他人がどうあれ、他人のありのままを尊重できる気がする。
ってことは、他人が自分の信仰(考え方とか価値観とか)を否定して腹がたつ場合は前者、他人が否定しようがなんだろうが、それすらも受け入れられるのは後者・・・って感じかな。わからないけど・・・

・・・と、詩とはまた別のところでもいろいろ感じたこの映画。

映画の中には彼女の詩がたくさん出てきたんだけど、どれも思索的で、どこか哲学的・・・そして実は、彼女が一番深く、キリスト教の真髄がわかっていた人なのではないかと感じた。真髄まで行っちゃうと、もう何教とか関係なくなるかもしれないけど。

しかしストーリー後半はエミリの辛い面が浮き彫りにされ、病や劣等感に苦しむ姿がこれでもか、これでもか、と出てくるので、ちょっと苦しかった。
あと、エミリ役を『Sex and the City』のミランダ役でおなじみのシンシア・ニクソンがやっているもんだから、エミリがキツい皮肉を言うシーンなんかは、もう、ミランダそのものっていうか・・・エミリを通してミランダが見えてしまって、ちょっと脳が混乱した。『Sex and the City』、DVDを持っているくらい好きなので。

この映画をきっかけに、エミリ・ディキンスンの詩集を読んでみようと思った。今度図書館で借りる予定。

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さて、これを書いている今は13時20分。
これから豊橋から飯田線に乗ってきます。
なおやんとは飯田線の途中、平岡駅で合流する予定。

「逃げてもいいよ」Coccoライブ2日目

07 14, 2017
はい、今日も行ってきました、Coccoの20周年記念ライブ。

今日は「ニの巻」の方。
一昨日の「一の巻」の方は活動休止前のサポートメンバーが演奏していたけど、今日はメンバーがガラッと変わって、現在のツアーメンバーが中心。

よって、セットリストももちろん一日目とはかなり変わっていた。
そして何よりもびっくりしたのは、Cocco自身の印象も、一昨日のライブとは大きく大きく変わって見えたこと。
なんというか、今日の方がずっとずっと自由だった。
一昨日は「彼女はいったい何を降ろしているのだろう・・・(巫女的な意味で)」とちょくちょく思いながら聴いていたんだけど、今日は、最初からもう、「Cocco自身が歌っている」と感じた。すごく楽しそうで、幸せそうだった。

完全に私の主観だけれど、一昨日はやはり、初期からのファンたちの期待や思い(「Coccoの昔の曲に救われた」「昔の曲が好き」という思い)をどこか背負いつつ歌っているという感じがした。
でも、1日目の最後に『もくまおう』を歌ったことで、Coccoもみんなも自由になった気がする。

あなたにあげたいもの
独り集めて 背負った
わたしが欲しかったのは
あなたを守る力

変わっていく私を
笑ってもいい

変わらない想いを
覚えていて

(『もくまおう』より)

誰かに対して「変わらないでいてね」「ずっと昔のままでいてね」「ずっと、私が好きなあなたのままでいてね」と望むのはエゴで、みんな、変わっていくもんだよね。何もかも、諸行無常だ。

というわけで、この『もくまおう』から続く、今日の「ニの巻」は、もう最初からCoccoの歌声にもものすごい解放感があった。大人になり、自由になったCoccoの姿があった。
客層も、(ステージから客席を見たCoccoさん曰く)一昨日と比べたら若返っていたみたいだし、バンドメンバーも一昨日のベテラン勢とは対照的に、若く、勢いのある面々。一昨日はどこか「みんながCoccoを見守る」感じだったけど、今日は「Coccoがみんなを見守る」になっていた。

MCではこんなことを言っていた。

「15歳の時、まわりの大人たちに『逃げるな』って言われたけど、自分は『逃げてもいいよ』って言える大人になろうと思った。大事なのは、生きることだから。」

「もし周りの大人たちに『逃げるな』と言われ続けても、Coccoは『逃げていいよ』と言ってたなって、どうか覚えていてね」

・・・きっと、今悩んでいる若い人たちへのメッセージなんだろうけど、すみません、なぜか私も、ここで号泣してしまいました・・・(すでに散々逃げ済みだが)

そして、私の周りに座っていた男性陣(みんなおひとりさま)も、泣いていた・・・。私の右側の席にはロマンスグレーのナイスミドルのおじさまが座っていたんだけど、彼はすでに一曲目の『焼け野が原』から泣いていて、そしてMCでは我慢ならず号泣、という感じだった。おじさまの中のいったい何が、そんなに反応しているんだろうか・・・と、ちょっと気になった。


さらに、後半のMCでは、

「「歌に励まされた」「救われた」という言葉をもらったりするけど、こー(※Coccoさん、自分のことを「こー」と言います)の歌に力なんてなくて、もし力をもらったって思ってくれるなら、それは、それを受け取る力がある、あなたが凄いの。こーの力ではなく、みんなの力なの」

という意味合いのことを言っていた。はい、号泣。
そして、

「だからもう、誰かの為とか何かの為とか、そういう恩着せがましいことじゃなくて、こーはただ、歌えばいいんだよね。なんていうの?こーは他力本願で、みんなは自業自得?・・・なんか言葉の使い方、ちがうか?」

と言っていた。はい、笑いながらもまた号泣。隣のナイスミドルも号泣。

なんかもう、Coccoって嘘がないんだよね。嘘、つきたくてもつけないんだと思う。
アーティストの中には、「うまく表現しよう」「人とは違うことをやろう」「どういう風に表現すればいいだろうか・・・」と、意志を持って、何かを「表現しよう」とする人もいるけど(それはそれでいいと思う)、Coccoの場合は「何かを表現しよう」ではなく、ただ、「生きている」という感じ。その時の、そのまんまの自分を、みんなに見せてくれている。だから惹かれるんだよね・・・


いやーもう、これ以上ないほど素晴らしい武道館ライブだった。本当に。
ちょっとしばらくは、沖縄&Cocco沼にハマってしまいそう・・・

(しかし、明日は朝イチ新幹線で長野だよ・・・なんなんだろうか、このせわしない日々は)

「私たちはもう大丈夫」Coccoライブ

07 13, 2017
昨日は待ちに待ったCoccoの武道館ライブへ行ってきた。

『Cocco20周年Special Live at日本武道館2Days』。席はアリーナ席の14列目。
沖縄旅から一度家に帰って、バーっとシャワーを浴びて、サーターアンダギーを1個かっ喰らって、15分後には武道館目指して家を出た。

昨日のが「一の巻」。バンドメンバーは活動休止前の旧メンバーが中心。そして明日の「ニの巻」(もちろんこっちも行く)では、復帰後のツアーメンバーが中心ということで、セットリストもきっと、「一の巻」の方は活動休止前の曲が中心になるだろうなとは思っていたけど、思っていた以上に懐かしい曲ばかりで、なんかもう、聴いていてずっと涙が止まらなかった。なんでこんなに泣けるのかわからないけれど、とにかく勝手に、ポロポロ出てきちゃって・・・
そして、周りを見ると、泣いているのは私だけではなかった。かなりの人たちが涙を拭きながら聴いていた(ちなみに一人で来ている人が多く、私の周りは9割がおひとりさまだった。男性の一人客も結構いた)。

いや~Coccoさん、この20年間、あなたの歌を何度聴いてきたことか・・・

なおやん曰く、
「ゆかりこはよく、「♪見上げればー終わりを見たこともない~めまいを覚えるような青~」って歌と、あと「♪あなたに見せたいもの~ひとり集めて背負ったー」って歌を、口ずさんでいるよね」
とのこと。たしかによく部屋で歌っているかも。ちなみに前者は『ポロメリア』で、後者は『もくまおう』。どちらとも、沖縄の景色が思い浮かぶ曲。

Coccoとは同い年の私だけど、Coccoがデビューしてからのこの20年間、私も出会いあり別れあり、苦しみ、かなしみ、喜び、とにかくいろんなことがあったなぁと。しみじみしてしまった。

そしたらCoccoさん、それを見透かしたかのように、最後の曲の前のMCで、

「「もう死んでもいい」ってところから、「生きててよかった」というところまで、みんなよくきたね。私たちはもう、大丈夫だと思います」

と話した。ここでもう、涙腺大崩壊。(私のまわりのおひとりさまたちも同様)
そしてこのMCからの、『もくまおう』。まさかこの曲を最後に歌ってくれるなんて!もう・・・もうね・・・泣く、泣くよそりゃ・・・

Coccoに惹かれる人って、やはり何か、生き辛さを感じてきた人が多いんじゃなかろうか。それは子供の頃のことかもしれないし、思春期、大人になってから、もしかしたら今も・・・かもしれないけど、とにかくどこかのタイミングで、何か、人生に大きな違和感というか、絶望というか、そんなものを感じてきた人が多いのでは、と、勝手に思っている。

マツコ・デラックスもCoccoにどハマリしたと以前テレビで話していた。

マツコさんも、絶望したことがあるがゆえの、あの洞察力なんだろうな、と、テレビのコメントを聞いていて思う。そして花が綺麗。

それにしても、Coccoが歌う姿を生で見ると、何かを降ろしてきている(というか降りてきちゃっている)ように見えて、その姿はシャーマン的というか巫女的というかユタ的というか、とにかく、神憑り?口寄せ?・・・と、感じた。Coccoは「それ」をそのままに歌うから、降りてきたものがエゴ的なもの(怨み、絶望、悲しみ、怒り的な情念)だと、彼女自身が恐ろしいものに見えるし、それが神聖なもの(愛、祈り的な想い)だと、一転してマリア様みたいにも見える。本当に、不思議な人・・・

明日の「二の巻」も楽しみ。定時ダッシュで武道館、いっくぞー!

顔のない神様に顔を描いたら・・・

05 13, 2017
昨日、四国旅日記をやっとこさ書き終え、かなりホッとした・・・というのに、今日からまた四国へ行くという、なぞのループ現象が私の中で起こっているわけだけど、このままでは四国のことしか書かない人みたいになるので、なんとなく、読書記録を挟んでみる。

諸星大二郎先生の『無面目・太公望伝』を読んだ。

名作二本立て。
両作とも最高に面白かったんだけど、今回はとりあえず『無面目』の方だけ書いとく。(実は『太公望伝』の方が好きなんだけど、それまで書いたらものすごく長くなりそうなのでやめとく・・・)


注)ここから先、例によって遠慮なくネタバレしていきますので、知りたくない方は要注意!

------

『無面目』のあらすじを簡単に書くと・・・

目鼻口耳のない偉大な神様=無面目(本名は「渾沌」)が、仙人たちから顔を描かれたことにより、初めて五感を味わい、人間界に興味を持ち、俗界に降りる。初めは「笑う」「食べる」ということすら知らなかった彼だが、次第に人間らしくなっていき、権力や暴力の刺激や、快楽、幸福、愛、恐怖をおぼえ、そして苦悩して死ぬ。

というもの。
『荘子』の中に出てくる「混沌」の話(漢文の授業でやったっけ?)と、中国古代史(漢の武帝時代が舞台)が絡められた、読みごたえたっぷりのストーリー。

崇高だった神が、だんだん人間界に染まっていき、顔つきがどんどん変わっていくのにはゾクゾクした。

そして、最期・・・
自分が何者だったのか思い出せず、混乱する主人公。
「目が・・・耳が・・・言葉も・・・匂い・・・手の感触・・・顔に受ける陽射しも・・・!
これらがすべて、私をとじこめている!」
と叫びながら顔をかきむしり、そして、死んでしまう。

もともとは『荘子』の中に出てくる
「目、鼻、耳、口の七孔が無い帝として、渾沌が登場する。南海の帝と北海の帝は、渾沌の恩に報いるため、渾沌の顔に七孔をあけたところ、渾沌は死んでしまった。」
(wikipediaより引用)
という話が元になっているわけだけど、これってものすごく、仏教的な話でもあるよね・・・と思った。唯識の世界というか。

この漫画を読んだのは昨日の夜なんだけど、ちょうど昨日の朝、電車の中でCoccoの『雲路の果て』を聴いていたわけで。

・・・この『雲路の果て』の歌詞が、モロに、『無面目』に繋がる。

『この目さえ光を知らなければ
見なくていいものがあったよ
からだがあなたを知らなければ
引きずる想い出もなかった』

(『雲路の果て』のサビの歌詞より)

・・・『認識』って、人間を幸せにもするし、不幸にもするよね・・・

この『認識』というものについてあれこれ考えるのが昔から好きで、そういったものを歌った歌や物語にどうにもこうにも惹かれるんだけど、今回読んだ『無面目』にも、そういう理由で惹かれるものがあった。三島由紀夫の『春の雪』を読んだ時と同じ感じ・・・

で、この『無面目』の後に、『太公望伝』が収録されているわけだけど、こちらの方はある意味『無面目』とは方向が真逆で、人が神へと昇華する(「神様」になるわけではなく、自分自身を見出す、という感じ)という話なので、通して読むと、なんとも感慨深い気持ちになるのです・・・すごいよ、諸星大二郎先生・・・


とか書いていたら、もう家を出る時間になってしまった。さぁ四国だ四国だ!
これから羽田空港に向かいますよスタコラサッサーー!
プロフィール

YUKA

Author:YUKA
都内在住・夫婦二人暮らし。
多趣味な夫にわりとついていく私のおぼえがき日記です。
旅日記は旅先からのリアルタイム更新を心がけています。
(しかし最近は家に帰ってからノロノロと更新することも増えました…)

リンクフリー。コメント大歓迎。
※本ブログのリンク集は都合により現在非表示にしています





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